タイムリー?いや、少々乗り遅れていますかね。
福岡県の太宰府市というところにある、竈門(かまど)神社、正しくは宝満宮竈門神社。
行ってきましたよ〜。私もニワカ&ライトな鬼滅ファンですからね!(笑)
聖地?へGO!
ここ宝満宮竈門神社は、神社の名称が『鬼滅の刃』の主人公、竈門炭治郎くんの姓と同じということで、神社からのプロモーションは何もありませんが最近ではいわゆる聖地と化していたらしいです。
なお、竈門神社というのは日本国内にいくつか(いくつも?)あるようで、ここ以外も鬼滅の聖地と化しているのかもしれません。
太宰府市といえば、神社界の日本代表級、ご存知太宰府天満宮が鎮座しています。
そのため私としてはこれまでずっと『太宰府天満宮の近くにある神社』という程度の認識しかなかったのですが、たまたま近くに用事があったので、スキマ時間にちょっとお邪魔してみました。
(竈門神社の公式HPです)
ちなみにここの竈門神社は紅葉シーズンの人気スポットとして以前から有名で、その時期にはかなりの参拝者や観光客が足を運び、よくテレビ等でも紹介されています。
現地へ。
太宰府天満宮から車で5分余りのところにあります。
正面に大鳥居が見えてくるのですが、それと共に目立つ『有料駐車場400円』の看板。
えぇ〜・・・こんなはずれの方にあるのに結構するんだなあ、と思いつつも、せっかく来たからケチらず行こうとそのままIN。
支払いと引き換えにもらった領収書には、
400円のうち、歴史と文化の環境税100円、とあります。
なーんだ、100円は文化のための税金だったんですね!そういうことなら喜んで支払います。こういう税金の徴収の仕方はいいですね。
駐車場は300円ということになりますが、大鳥居はすぐ目の前なのでさすが金額に見合った立地です。神社の敷地であることは間違いなさそうなので当然ですが。(笑)
(蛇足)
車を停め、まずは大鳥居の脇にある神社の概要を書いた看板を確認。
これ、すごく大事ですよ。主祭神とか特に。
こちら宝満宮竈門神社の主祭神は、竈門炭治郎・・・であるはずは勿論なく、玉依姫命です。
初代天皇である神武天皇のお母さんにあたる神様ですね。
ではここが創建されたのは一体いつ頃のことなのかというと、
天武天皇二年(673)、開山心蓮上人が山中で修行中、にわかに山谷震動して貴婦人が現れ、「われはこれ玉依姫の霊、現国を守り、民を鎮護せんために、この山中に居すること年久し。」などと告げ、金剛神に姿を変じ九頭の龍馬に駕して天を自在に飛行しました。心蓮上人は直ちに朝廷にその旨を奏上すると、朝廷の命によって上宮が建立されました。(竈門神社公式HP)
だそうです。飛鳥時代の話。
ちなみに上宮は、ここ竈門神社の背後に聳える宝満山の山頂にあるそうです。ここで私が訪れているのは下宮。
天武天皇といえば皇后にあたる持統天皇が今話題の女性天皇になっていますが、この前後10代くらいは女性天皇がたくさんいます。おまけに1人で2度即位する重祚も、この頃2人の女性天皇が経験しています。
なお、最も現在に近い女性天皇は第117代、後桜町天皇です。現在が第126代ですから、案外に最近の話に思えますね。
竈門神社が創建されたとされるこの頃の出来事で、パッと思い浮かぶのは天武天皇が即位する前に身内で天皇の座を争った壬申の乱。
その少し前には日本の初の対外国戦?白村江の戦いがありました。ここで大敗を喫したために防人の配備や水城の構築などの防衛策を講じる必要が生じ、大宰府を中心とした北部九州はこの頃、慌ただしく不安な時を過ごしていたのだろうと思います。
ちなみに『だざいふ』の『だ』に当たる字ですが、『大宰府政庁』等、古府を表すときは一般的に『大』、現在の『太宰府市』では『太』と記します。ややこしいですが豆知識。
あれっ、どんどん話が逸れてしまっていますね。
創建についてもう少し補足すると、そもそも天智天皇(天武天皇の先代)の代に大宰府政庁が置かれたとき、その東北、つまり鬼門に位置する宝満山(竈門山とも呼んだ)で祭祀を始め、そののちに前述の引用にあるお告げにより宝満山に上宮が、そして麓に下宮が造られたということです。
そういう経緯もあり、厄除けの神社として、また一方で縁結びの神社として有名だそうです。
このあたりの詳細は公式HPをどうぞ。
境内
さて、早速大鳥居を目の前にして。
これは、緑豊かな、と言えばいいのか、鬱蒼とした、と言えばいいのか、まずは管理状況がとても気になる面構えです。
実際、あまり人の訪れないようなところの神社は管理状況が良くない場所もあり、足を踏み入れるのをちょっと躊躇ってしまうようなこともあります。
神様を同じように祀っているのに、運営費だって馬鹿にならないんだろうな・・・と、寂しい気持ちになります。
ただ、ここの大鳥居はなかなか大きいから何となく大丈夫だろう・・・と、階段を昇ると。
(また蛇足)
なんとなんと!個人的に驚いたポイント。
『官幣小社竈門神社』とあります。
旧社格では官幣小社だったんですね〜。勝手ながら郷社とかそのあたりかと思っていたので、これは失礼いたしました。
ちなみに太宰府天満宮は官幣中社です。
最上級の官幣大社は福岡県には3つあり、宗像大社・香椎宮・筥崎宮がそれにあたります。
少し調べてまた驚き。
元々はこちらの竈門神社、村社だったらしく、明治時代に官幣小社に格上げされたそうです。
村社とは旧社格を有する中では一番下ですから、一気に4階級くらい引き上げられたことになります。
なんでそうなっちゃったのか、政治的思惑以外にはあまり考えられませんが、その理由が気になりますね〜。
ついでに官幣小社の一覧を調べてみたら、またまた驚き!
なんと日本に5つしかありません。超レアです。他の社格は国幣大社以外は10を優に超えているのに(国幣大社は6)。
しかもこの官幣小社、5つのうち3つが福岡県にあるんです!
ひとつはこちらの竈門神社、残る2つはJR博多駅のそばにある住吉神社、そして!志賀島にある志賀海神社です!
この志賀海神社と言えば!大漁祈願で有名で、大人気の釣り人向けのお守りなど、釣りをする人なら必ず訪れたい神社なのです。境内から鳥居越しに望む玄界灘も絶景です。
まさかまさかの、ここでこのブログの主題とつながりました。これは神様のお導きと言わずにはいられません・・・いや、この表現は何となく神道っぽくないですね。(笑)
住吉神社、志賀海神社とも訪れた事のある私は、ここに来たことで、日本国内に5つしかない官幣小社のうち3つをクリア(?)したことになりました。
残り2つは東京と沖縄。行けるかなあ・・・。
再びものすごく話が逸れました。すみません。
鬼滅だけの聖地じゃないよ!
大鳥居をくぐると、すぐ右手に少し開けた場所が。
ここには建物の遺構と思しき大きな石が並んでいます。
なんでも天台宗の開祖・最澄大師が唐へ留学する前にここに立ち寄り、薬師仏を作ったのが竈門山寺という寺で、それがここにあったのでは・・・という事です。神社と同じところにある、というのが神仏習合の時代を感じますね。
ということは、ここは『鬼滅の刃』の聖地となるより遥か昔から、天台宗徒の聖地であったのでしょう。
霊山として信仰の対象となっていた宝満山の麓には、中世にかけて多くの寺が建てられ、ここもその一部であったらしいです。フムフム。
鎮守の杜
そのまま歩を進めるとすぐに突き当たるこの景色。
大人の肩の高さあたりまで、まるで覗き込むように真横から下方向へと伸びているモミジの木。
この下をくぐると、
ここが神社であること、そして葉が鮮やかな緑に色づいていることも相まって、まるで身を清め、禊を済ませているような心持ちになります。
なんといいところなんだろう。すっかり感激してしまいました。
紅葉シーズンはこれが真っ赤に染まると思うと、またそれも素晴らしい情景でしょう。
さらに階段を昇り、拝殿への小道を歩いていきます。
途中、門番のように道の左右に聳える大きな楢の木。
道を横切る人為的な小川。
広葉樹やシダ、苔の織りなす緑のグラデーションが見事です。いいときに来たなあ。
平日の午後だったので、人の姿もまばらで、静かに空気に浸ることが出来ました。
拝殿
ほどなくして拝殿に到着。
大鳥居の周りのモッサリ感から打って変わって、さっぱりと綺麗に整備されていました。
先程出会ったものより更に大きな楢の木が、拝殿の脇と手水舎の前でどっしりと睨みを利かせています。
手水舎の奥には絵馬が並んでいるのが見えていますが、ここには予想通りに『鬼滅の刃』のキャラクターを描いた絵馬がズラリ。炭治郎くんや禰豆子ちゃんがたくさんいましたよ。
みんなすごく丁寧に描いていて感心しましたが、社務所にはカラーマジックや台が準備してあって、じっくりと描ける環境も整っています。
参拝を済ませ、あたりを少しだけ散策。
ここは背後に控える霊山・宝満山の登山口も近くにあるようで、その頂上には前述のとおり、この竈門神社の上宮があります。本気の参拝をしたいなら、この上宮目指して山登りですね。
もちろんこの日はそんな準備はしていませんでしたので、このまま駐車場へと降り、竈門神社をあとにしました。
家に帰ったあとで追加情報を得ようとHPなどを見ていると、『水鏡』や『歌碑』など見ておくべきポイントがいくつかありました・・・!
春はもえ 秋はこがるる かまど山
かすみも霧も けぶりとそみる
(冒頭の駐車料金の領収書のウラ。『拾遺和歌集』にうたわれている清原元輔の一首で、この歌碑が境内にあるそうです)
事前の下調べを何もせずに行ったことが悔やまれます。
次は紅葉の時期に行こう。